うなぎのぼりブログ

日本のうなぎ食文化ってすごい。地域やお店によって夫々目指すべきうなぎ料理が違うのが魅力的。

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深川江戸資料館

清州白川駅から徒歩5分ほど
清澄庭園の反対側に「深川江戸資料館」がある。

鰻に関する古い文献などを読んでいると
なにかと登場する深川界隈。
ちょっと興味がある。

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清州通りを左に曲がると
ちょっと江戸の風情を感じさせてくれる。

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江戸土産屋・・・。
ちょんまげかつらをつけた店主
面白そうな店だ。

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まもなく「深川江戸資料館」
入館料大人400円を払って中に入る。

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展示会場の階段を下ると、古い町並みにタイムスリップ。
江戸時代末期、天保年間(1830年から1844年)の
江戸の町並みを再現しているとのこと。
天保年間というと将軍は第12代徳川家慶、
大塩平八郎の乱、天保の大飢饉などがあったあたり。
右に見えるのは八百屋「八百新」。

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船宿の前には、船から荷揚げをしている風景。
当時は門前仲町のあたりまで海であった
1590年に徳川家康が江戸入りして
河川の整備と運河の掘削を行い、水運が発展した。

1596年深川八郎右衛門が深川の地を開いたそうだ。

20130113DSC01034s.jpg
当時の天麩羅屋。
床見世と呼ばれる、屋台型のの店。
海が近く、海産物が豊富に採れたのだそうだ。
それを当時貴重な油で天ぷらにして食べさせたとのこと。

20130113DSC01035s.jpg
こちらは蕎麦屋。
二八蕎麦とある。
こちらは担いで移動できる店舗というか屋台。
かけそばを売っていたようだが
現在のアツアツの蕎麦にアツアツのだし汁をかけるものではなく
蕎麦を水でしめて、どんぶりに入れ、常温の甘辛濃いめの蕎麦つゆをかけて
客に出していたとのこと。
お客は、広場で立ち食いしていたようだ。

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長屋、四畳半一間という感じだが、機能的に作られていると感じる。

館の学芸員の方に当時の鰻屋について話を聞いてみた。

当時の鰻屋のスタイルは
天麩羅屋のような移動型の床見世のような店舗だったとのこと。
現在の裂いて串にさした蒲焼ではなく
身をぶつ切りにして、一本串に刺したものだったようだ。
この、ぶつ切り一本串スタイルがガマの穂に似ているところから
蒲焼となったという説もある。

水運が盛んになり、遠方からの物資も豊富に供給されるようになる
紀州の醤油、南方の砂糖、名古屋の酢の三品が揃うのは江戸だけだったとのこと。
これを江戸自慢として、蕎麦つゆ、天つゆには、ふんだんに砂糖と醤油が使われたそうだ。
江戸のそばつゆなどは、辛口濃厚であったようだ。
鰻のタレも同様で甘辛濃いめであったそうだ。

また、当時の油は貴重品
揚げ物と言えば、天麩羅と油揚げぐらいだったらしい。
この油揚げをつかってお稲荷さんにして、
しょうが醤油で食べるのが贅沢だったのだそうだ。

そして深川付近では天然江戸前鰻が豊富に採れたそうだ。
江戸前とは大川(隅田川)西、御城(江戸城)より東で採れた鰻を江戸前と呼んでいた。
この江戸前というのは寿司ではなく実は鰻が発祥のようである。
深川の江戸前天然鰻とは上ものとされ
江戸前以外を江戸後ろ、江戸向などと言って区別されたようだ。

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なかなか面白い資料館であった。
現在でも江戸創業の老舗鰻屋は現存する。
歴史も深入りするときりがないのだが
適当に面白そうなところだけ、つまんでいくと面白い。

地下鉄で押上。
スカイツリーの真下だ、すごいな江戸は・・・。

20130113DSC01051s.jpg
ちょっと歩くことにする。
浅草通りを吾妻橋に行く。

そうそう、あの「本日丑の日」の元祖といわれている平賀源内さんは
1776年に深川清澄町でエレキテルを発見しているのである。
この「丑の日」にも諸説あるのである。
奥が深い・・・。


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