うなぎのぼりブログ

日本のうなぎ食文化ってすごい。地域やお店によって夫々目指すべきうなぎ料理が違うのが魅力的。

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うなぎ調理体験~大塚うなぎ宮川

いままで、ありそうで無かった、鰻の調理体験・・・。東京「大塚うなぎ宮川」さんでイベントが行われるという。TABIKAというサイトを通じてイベント参加者を募集している。https://tabica.jp/「大塚うなぎ宮川」四代目 八馬さんより開会の御挨拶。鰻の食文化、守り続けるべきものを大切したいというそしてもっと鰻について知ってもらいという思いがあるという。「立て場」の説明。黒い桶の上から濾過された水を落とし、鰻を活かし...

 30, 2017   0
Category  鰻の食文化

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うなぎの蒲焼、関東風と関西風

関東風と関西風の大きな違いは背開きか腹開きかと、蒸すか蒸さないかだろう。関東風は背開き、白焼き、蒸す、竹串を使う、頭を落としてから焼く関西風は腹開き、蒸さない、金串を使う、頭をつけたまま焼き最後に落とす。というところだろう。(画像は「いづもや 別館」)以前にも書いたが、「鈴鹿家記」1399年(応永6年)に文献に初めて「蒲焼」という言葉が登場する。室町時代、食文化の中心は京都。当時の調理方法はうなぎを長いまま...

 27, 2014   4
Category  鰻の食文化

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剣菱

時は元禄、我が世の春。元禄時代(1688年-1704年)時の将軍は徳川綱吉。江戸幕府ができて約百年がたつ頃。江戸の開拓のために全国から人・物資が集まり独身男性の比率が多く、飲食業も盛んになってきた頃のようだ。いわゆる気っ風がよい粋な江戸っ子の誕生もこのころのようだ。腹を空かせた江戸っ子独身男性が夕刻、仕事を終え屋台の鰻屋に立ち寄る。このころの鰻屋の店構えは建物などはなく床見世(屋台)のようなものだったそうだ。...

 16, 2013   0
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うなぎ食文化 その3

うなぎ食文化 その3時代は明治維新へと進んでいく。うなぎの養殖は1879年(明治12年)に登場する。明治以降は、養殖うなぎの歴史となるようだ。1868年(明治01年)江戸城、無血開城。江戸を東京と改称明治のころになると鰻屋の看板は「御蒲焼」なったようだ。1872年(明治05年)新橋横浜間に鉄道が開業、官営・富岡製糸場が開業時代は和魂洋才、富国強兵、殖産興業。日本的なものは古くさく西洋的なものが新しく進歩的だという思想になっ...

 12, 2013   0
Category  鰻の食文化

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蒲焼の語源

うなぎの蒲焼というと、あのお重に入ってご飯の上にのせられた、あの姿を想像するところだ。同時にあの香りまで想像してしまう。この蒲焼の語源についても諸説あるのでご紹介。蒲の穂に由来するという説。池や沼などの水辺に生えている蒲の穂。秋田名物きりたんぽのような形をしているやつだ。蒲の穂の語源は「かま ぼこ」なのだが、現在のかまぼこは板かまぼこが主流なので、ちょっと姿かたちは似ていない、形的にはちくわが 近い...

 16, 2013   0
Category  鰻の食文化

うなぎの食文化 その2

うなぎの食文化 その2蒲焼は江戸時代中期以降に確立されていいく。時代の背景なども併記していくと、わかりやすそうなので主な出来事などとともにご参考いただければと思う。1603年(慶長08年)徳川家康が江戸に幕府を開き、江戸の街づくりに着手していく。1616年(元和02年)ヒゲタ醤油(銚子)創業、摂津の国の酒造家の勧めで、銚子で醤油の醸造を始めた。「大極上々溜まり醤油」として、大豆が主体の「味噌溜まり」のようなものであ...

 14, 2013   0
Category  鰻の食文化

うなぎの食文化 その1

日本人の食文化にうなぎが登場するのは、遺跡から発見された魚の骨の中にウナギのものも含まれていることから新石器時代頃と言われている。 「万葉集」759年(天平宝字3年)の中には、大伴家持が夏バテの石麻呂に詠んだ和歌が2首収められている。「石麻呂に吾(われ)物申す夏痩せに良しといふ物ぞ鰻(むなぎ)漁(と)り食(め)せ」(石麻呂さんにいいこと教えてあげますよ、夏痩せには、うなぎが良く効く薬だそうだから、鰻を捕まえて食べ...

 13, 2013   0
Category  鰻の食文化

うな丼

宮川政運「俗事百工起源」1885年(明治18年)によると、天保年間あたりの江戸日本橋堺町(人形町)で、芝居の金方である、うなぎ好きの大久保今助が、葺屋町(人形町)の大野屋からよく出前をとった、その時に丼に飯を盛り、うなぎを入れさらにご飯を盛って、持ってこさせていたという。いわゆる、まむし丼だ。手軽な食べ方と、飯にタレがしみ込んだ味が人気となり、葺屋町(人形町)の大野屋が「元祖鰻めし」という看板で売り出した...

 12, 2013   0
Category  鰻の食文化

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江戸前大蒲焼番付

古い文献を読んでいると江戸前大蒲焼番付なんてものがあったようだ。江戸時代のグルメ誌とでも言えばいいのか当時の江戸で人気の鰻屋が相撲の番付表のように約200軒の鰻屋がランキングされている。いまでこそ、鰻屋200軒くらいでは驚かないが当時江戸の人口は約100万人と考えるとこれは実物のコピー。都立中央図書館の書庫に眠っているというもの好きなので、やっぱり本物を見ておきたい。広尾の有栖川公園のなかにある、都立中央...

 08, 2013   0
Category  鰻の食文化

うなぎと健康

この夏は、鰻をよく食した。たぶん、これからも食す。好きだから・・・・。好きだからってこんなカロリーの高いもの食べて!コレステロールも高いんじゃないの!メタボのくせに!という声が聞こえてくる。このブログのテーマもメタボ撲滅とか書いてあるじゃん・・・・。健康が気にならないわけではない、むしろちょっと考えたいところ。さて、調べてみるか・・・。カロリーは・・・カツどん1020kcal天どん880kcalうな重794kcal牛丼...

 11, 2008   2
Category  鰻の食文化